ヤカの散録

忘れてしまうあの日のひだ

雨音

朝方目を覚ますと、ばらばら雨音が聞こえる。廊下に出ると空気はしっとりと冷たく、肌にひんやりと纏わり私をいつもより内向きにさせる。家で過ごす時間が増えた私は雨に濡れることは減ったが、雨音は少し苦手になってしまったように思う。

 

テントの中で聞く雨音は好きだった。私がボーイスカウトだった頃の話だ。それまで雨に打たれながら活動した体は冷え切っていて、雨に濡れる心配のない場所でシュラフにすっぽり収まると束の間緊張も解れた。泥に塗れた履物も、水溜まりだらけになったテントサイトのことも、明日の朝までは気にしなくていい。ランタンの灯りの中、友人と横になってくだらない話や内緒話をするのも楽しい時間だった。疲れ果てて、ぼつぼつと大きな音を立てる天井を見上げながら眠りに就く。雨音は、無事に一日を終えることができた達成感と共にあった。

 

傘に当たる雨音はどうだったろう。雨の中の外出は年々減っていて、それは外に用事のある日が減っているからだった。近頃、天気にかかわらず出掛ける先は病院くらいなもので、楽しいか楽しくないかと問われれば、それは勿論楽しくない方に分類される。傘に当たる雨音を愉快に感じるか不快に感じるかは、どこを目指して歩いているかでぐるりと変わるものだ。私の場合は、少しずつ好きではなくなってしまったのだろう。それは仄かに悲しいことな気もする。

 

今は部屋の中にいる。部屋の中で聞く雨音は少し苦手だ。ざあざあばらばらと聞こえてくる雨音によって部屋の輪郭ははっきりとして、その中に一人動けず存在する私が強調される。

 

透明な空間に雨が降る。先程まで何もないと思っていた空間に、四角い箱が浮かび上がる。そこには箱があったのだ。その箱の中をよくよく見てみると小さな何かが、私だ。その箱から飛び出すこともなければ、箱の中で何かをするわけでもない。水分を吸収してぶよぶよになった私は、箱の隅っこで体育座りをして項垂れている。そんな画がいつも頭の中に投映される。

 

部屋の中から聞く雨音は様々で、ざあざあばらばらの中に混じる、かんかん、ぼぼぼ、ぴちゃ、しゃーっ、てん。きっと楽しむ方法だってたくさんあるはずだ。それでもやっぱり苦手なものは苦手で、音楽を流して布団に籠る。雨の日には兄弟時代のKIRINJIがよく似合う。『Drifter』、『千年紀末に降る雪は』、『アルカディア』……と枕元で聴きながら、やっぱりどうして私は雨音に耳を傾けてしまうのだった。