ヤカの散録

忘れてしまうあの日のひだ

2023年3月4日◆発光する背中

ハナレグミの弾き語りツアー、Faraway so closeに参加してきた。数日前に勢いで行くことを決めたライブ。一人で遊びに出掛けていける体力が戻ってきたことを実感し嬉しさを噛みしめる傍ら、やっと手に入れた元気を大切にしようと気を引き締める。

 

最寄り駅までマスクを外し歩く。今日はちょうどぴったり春といった陽気で、空気を吸い込めばむくむくとパン生地が膨らむような気持ちになる。ぽくぽく木漏れ日の中を行く。私も優しい人になれたのかと錯覚してしまうような日差しだ。

 

物販で春待ちロングTシャツとワンコインシングルを購入し、早速着替えて手近なカフェに入る。窓際の席で開場時刻を待つ間、昨日購入した『水中で口笛』を少し読む。頭の中がマカロンのように軽やかな言葉で満たされ、弾む足取りで会場を目指す。外でストローを使わずにアイスミルクコーヒーを飲むのは、少しばかりぞんざいだったろうか。

 

弾き語りということで、音は声とアコースティックギターというミニマルな構成。それは決して寂しいことでなく、音の一粒一粒が丁寧に聴こえて、言葉が確実に掌の上までやってきて、歌声が響いて響いて溢れんばかりになる。会場いっぱいに、そして私に、永積さんが空気を揺らして発せられた音が届く。今この瞬間同じ空間にいるのだと強烈に感じて、とても心強かった。

 

コロナ禍の渋谷は空気が綺麗で、それが写真を始めるきっかけになったのだという。写真を始めてみて、自分の音楽は動画でなく写真なのだと気が付いた。風景があって、声でそこに空気を送り込む。「家族の風景」はまさに写真のような曲。また、好きを続けるのが一番強い、という話も胸に迫るものがあった。この変わってしまった世界の中にあって、毎朝きっちりいつもと変わらないルーティンをこなして仕事に出掛ける父。好きを続けることの強さを感じ、その姿に打ちのめされた。父の背中は輝いて見えたという。そしてその視点を上へ上へ、輝く背中は世界中にあって、永積さんは発光する帯を見た。*1ステージ片側から照らされて「発光帯」を披露する姿は、やけに印象的だった。

 

現実を忘れて楽しむのとは違って、現実を見据えながら、そこへの勇気や活力をそっと手渡してもらうようなライブだった。音に満たされた体で、明日からまた日常を真摯にこなしていこう。まっすぐな眼差しとスマイルで過ごしたい。今を続けていたら、いつか私の背中も仄かに発光するだろうか。

 

薄靄がかかってぼうっと照らされる街の中を、人に流されながら歩く。きっとあの四角いビルの中にも、帰り着く私の住む街にも、たくさんの発光する背中。

*1:こうして書こうとすると、どうしても永積さんの言葉を私が再構築してしまうことになる。たちどころに変質してしまう言葉の脆さがやるせない。