ヤカの散録

忘れてしまうあの日のひだ

写真

昨日のことすら満足に思い出せない。忘れてしまうのはヒトの長所だけれど、忘れたくないこともたくさんある。だから、日々の彼是を写真に収めている。

 

私にとって、写真は日記のようなものだ。あの日見た忘れたくない視界を残しておく。あの日感じた忘れたくない気持ちを書き記しておく。写真も日記も、すぐに忘れてしまう私の御守りになる。覚えておかなくていいやということは残さない。そうすれば自然と記憶は薄まって、やがて忘れてしまうから。

 

始めは、記録の意味だけを担うそっけない写真ばかり撮っていた。もちろん、それでも十分だった。しかし人間とは欲深い生き物で、だんだんと“いい”写真を残したくなった。カメラロールに並んだ時、ほんの束の間少しばかり得意になってしまうような。写真だけ見ても、実際の視界を知らなくても、素敵だなあと思えるような。自分が見返すアルバムとして、Instagramのアカウントも作った。それ以上の勇気は湧かなくて、フォロワーはミイさん含めて三人の非公開アカウントになった。ここには思い出したい記憶しか眠っていないから、安心していつでも見ることができる。薄目にならずスクロールができる。

 

このアルバムアカウントは、今ではすっかり私の拠り所となっている。今日も何も為しえなかったとしおしおとなる日も、傍から見れば小さな失敗に一日中囚われ落ち込む日も、何が駄目だったかすら分からず幕が閉じていく日も、外部の情報の刺激に怯えることなくちょっと良かった日を思い出せる。布団をかぶって下へ下へとスクロールする。少しの安堵と現実逃避の中、いつの間にか眠りに落ちている。

 

普段はスマホでちゃっと写真を撮る私だが、昨年ミイさんと京都旅行に行った際、初めてフィルムカメラを使った。非日常な旅行先で普段と違うことをするのは、それだけでもうドキドキする。百枚を超える写真は、帰宅後現像に出して、二冊のアルバムにまとめた。今も雑誌に紛れて本棚に並んでおり、ふとした時に見返して、あの場面やあの場面をそんなこともあったなと思い出し心を満たす。つくづく、人間忘れてしまう生き物だなと思う。だからいいのだ、こうやって残しておく記憶を選んでしまって。

 

またフィルムカメラを携え旅行に行きたいな。でもそれより前に、今歩いている毎日を具に覚えておきたい。奇跡のようなバランスの上にある今日を忘れないほうがきっといい。そのためにまた、パシャリと写真を撮る。