ヤカの散録

忘れてしまうあの日のひだ

2023年3月6日◆風船は割れなければよい

昨晩、大きな里芋に片栗粉をまぶして揚げた。ミイさんを送り出した後、それをトースターでこんがりと温めなおし軽く塩を振ってあむとかぶりつく。カリカリでほくほくでトロトロ。変に繊維を感じなくて均一にむちっとした里芋を引けたら大当たりだ。

 

寝なおしたい気持ちを宥めつつ、実家へ遊びに行く準備をする。一緒に観たい録画もあるし食べさせたいものもあるし、暇な時に遊びにおいでよと母から連絡をもらっていた。

 

実家はいつもポカポカしていて、母は生麩やら鮪やらを用意して待ってくれていた。偶々父も休みで家にいて、昼間から酒をちびりちびりとしてなんだか正月休みのようだ。私が体調を崩して実家に強制送還される(私はこれをドナドナと呼んでいる)のではなく、単に遊びにこれたのは何年ぶりだろうか。近頃だいぶ調子いいねえ、と嬉しそうな母に、どうしても申し訳ない気持ちになってしまう。

 

話題は両親が参加してきたギタージャンボリーの話へ。写真を見せながら両親揃ってきゃっきゃと喋る口は止まらず、お互いが撮った写真に写りこむ姿はカップルそのもので微笑ましくなる。父と四苦八苦して撮ったであろう慣れない自撮り写真に写る母は、どれも肌が艶々として乙女の表情をしている。私が高校生くらいだったらきっと胸焼けしていただろう。何枚か拝借して、兄弟のグループLINEに送っておいた。一言「若ぇのよ」と返信があり笑う。

 

帰り際、母が冷凍の肉やら野菜やらをたくさん持たせてくれる。なんでも、父と二人だと全然食材が減らなくて、定期的に届く冷凍の食材がどんどん溜まってしまうから手伝ってほしいのだという。そう言いつつ、優しさからお裾分けしてくれていることをちゃんと知っている。別に普段気を張って生きているわけではない。それでも、無条件の慈愛の眼差しにぬくぬくと甘えて少し気が抜けてしまった。風船の空気が少し抜けて頼りなげになるのを感じる。刹那、まだ帰ってくるには早かったかとも考えたが、風船は割れなければよいのだ。ぱちん!と破裂してしまう前に時折軽く空気を抜いてやって、低くでもふよふよ浮いていられればいい。

 

海沿いを行く。帰り道はやけに月が明るくて、水面は銀テープを散らしたみたいにひらひらと光っていた。水平線はラインストーンを一粒ずつ置いていくようにきらきらとして、見慣れた海は着飾っているようだ。明日は満月か。