ヤカの散録

忘れてしまうあの日のひだ

2023年4月9日◆日記を書いて読む、みんな同じだと知る

坂を上ってゆくミイさんを見送って、今日は朝寝に戻らず私もそそくさと外出の準備をする。日記屋月日さんが主催する日記祭の当日。今日を体調良く迎えられて良かった。シャワーを浴びて、髪を乾かして歯を磨いて、化粧をして髪を結う。気合いを入れた日ほど化粧は上手くいかなくて、こういう日にマスクが頼りになってしまうこと、少し寂しい。きつく結った片寄せ三つ編みをほぐすのも何だか思うようにいかなくて、二回やり直した。『マスカラまつげ』だ。

 

下北沢。私のような田舎者は、場所や人のキラキラに中てられてそのまま雲散霧消してしまうかもしれない。これは武装が必要だ、と少し過剰なほどの緊張。背中に龍の刺青を入れる気持ちで、手持ちの服の中で一番派手なジャケットを羽織る。真っ青なベルベット生地に金糸の刺繍が豪華な服だ。龍ではなく金糸であしらわれた蓮の花、あるいは睡蓮、あるいはまったく別の花を背負い、そろそろ家を出なくては。出掛けるまでカーテンを開けて日に当てていたオリーブと福だるまに「いってきます」と声を掛け、駅まで歩く。気温は低めだが、よく晴れた気持ちのいい日だ。生け垣に咲く躑躅はだんだんと花盛りを迎えていて、一方でお気に入りの梅の樹に咲く花はだいぶ萎んでしまった。春の中で、季節がまた一歩進んでいる。

 

電車に揺られながら、昨日届いた新井素子著『グリーン・レクイエム』を読む。小さい頃母から借りて読んだ記憶がふと蘇り、どうしてもまた読みたくなって日本の古本屋で注文していたのだ。朧げに覚えていたりすっかり忘れていたり、懐かしく幻想的な緑の世界に没入した私は、電車で遠出をするという緊張感をすっかり忘れることができた。

 

十一時を少し回ってBONUS TRACKに無事到着する。何度か来たことはあったが、キ、キラキラだ……。キラキラで、皆楽しそうにしていて、新鮮なエネルギーを感じて。こういう場に一人で遊びに来ることができるくらいヤカは元気になったのだ。それを改めて実感して、私は嬉しかった。波は押し寄せる時もあるけれど、その分ちゃんと引いてくれるから心配しなくて大丈夫だよ、と少し前の私に教えてあげたい。押し寄せている時はそれどころじゃないから、この言葉はきっと響かないと思うけれどさ。

 

最初に向かったのは、はてなブログさんのブース。『はてなブログの日記本』、手に入って良かった。スタッフのお姉さんに「実は今回掲載してもらっていて……」と既に浮かれ調子で話をする。どこに載っているんですか!と気さくに話を聞いてくれるお姉さんと一緒に日記本を覗き込み、嬉しいやら恥ずかしいやらで早くも感情がいっぱいになる。ぷかぷかと浮かれていて、それでいてむずむず暖かい気持ち。今日、えいやと足を運んでよかったな。ふよふよほくほくとブースを後にし、改めて自分のページを開いて気が付く。私、「䋝田ヤカ」じゃなくて「田ヤカ」になっている。後に調べて分かったのは、「䋝」の字はJIS第四水準漢字に該当するということ。今回使用されたフォントは、そこまで対応していなかったということだろう。しかし、これはこれで話の取っ掛かりをもらえたというもので、私はこの後あちこちでこの話をすることになる。何を話せばいいか分からず押し黙るか空回りするかになってしまう私にとっては、たいへんありがたい話である。

 

次に向かったのは古賀及子さんのブース。「なんでもレンジでチンする会」を大学の専攻の先生に教えてもらったのがきっかけで古賀さんを知り、その後、殆ど毎回参加している国語辞典ナイトの司会としてご活躍されているのを最前列で見て、はてなブログで書かれていた日記も読んでいた。要するに、とてもお会いしたかった、そしてお話をしてみたかった大好きな方なのだ。と、ここに書いたことをドキドキしながらそのままご本人に伝える。マスクをしていても分かる満面の笑みとピンクのアイシャドウがとても似合って、やっぱり溌溂とした可愛らしさに溢れている方だ。いつも素敵だと思っていたつやつやでサラサラな御髪は、日に照らされて今日も変わらずとても素敵だった。古賀さんほど愉快だとかチャーミングだとかいう形容が似合う人はなかなかいないのではないか、などと思う。肩をすくめる仕草がこんなにも似合う。私は古賀さんではないので古賀さんにはなれないけれど、古賀さんみたいなご機嫌さを携えた人間になりたいものだ。『ちょっと踊ったりすぐにかけだす』は今日ご本人から直接買うんだい、と心に決めていて、決めていたことが叶って嬉しい。『夜だからというだけの理由で寝る』も手に入って嬉しい。名前を入れてサインまでしていただいて嬉しい。ナイトとかでまた声掛けてくださいね!との言葉をいただき、とどめの嬉しい。もう、きゃあきゃあという気持ちでブースを後にする。古賀さん、お話できて夢心地でした、ありがとうございました。

 

さて、ここからは行き先を決めず、のんびりと会場を巡ろう。何に惹かれてか、日記島さんのブースの前で立ち止まる。『ロマンティック日記集』は十二名が同じ期間に書いたという日記集だそうで、それだけで興味がそそられる。店番の方との会話の中でもあったが、群像劇のようだ。一人の一ヶ月を通して読むのも勿論いいだろうし、同じ日付を拾って十二人のとある一日を並べて読むのも面白そうだ。お話をしてくださった村上さんと柴沼さんのお人柄もあり、一冊いただくことに決める。話を聞いていてふつふつ湧いてくる思い。いつか私の日記が積もり積もったその日には、きっときっと本にしてみたいな、なんて。これは夢の話、これは未来の話。遠い未来に楽しげな夢を持つ、今日の陽気のように、軽やかでいい気分。『〆切本』のトートバッグにも反応してもらえて、出掛けにこのトートを引っ掴んだ私にブイサインを送る。

 

ベンチに空きを見つけ、缶ビールをぷしゅっと開けて少し休憩。「Phew!」は低アルコールのIPAだそうで、今日初めていただいた。カーテンを開けた明るい部屋の中で窓際に座ってオリーブを愛でながら、もしくは、よく晴れた公園や浜辺などで気軽に飲みたいようなビールだ。フルーティーな香りとまろやかで軽やかな味わいは、今日のこの空気にぴったりだった。晴れの日の味。缶のデザインも可愛くて、家に持って帰ったら何かを飾ろうかな。一息ついて、ミイさんに『はてなブログの日記本』が無事手に入ったよ、と連絡を入れる。掲載が決まってから、私と同じくらいずっと楽しみにしてくれていた。日記島さんの『ロマンティック日記集』を早速読み、当たり前ながら、出来事も文体も選ぶ言葉も文章の長さもバラバラの日記たちに私は勇気をもらう。日記って、難しく考えずにもっと気楽に自由に書いていいんだよな。そしてこれも当たり前ながら、人が一人いたら、そこに一つ人生があるんだよな。今日までを歩んできた暮らしがあって、今日に至るまでの思考があって、たまたま交差した今日。そんなことを思ったら心に柔らかさが戻ってきて、何だか大丈夫な気がしてきた。何がかは分からないけれど、大丈夫。

 

また会場をふらふらとして、「おだやか」という名の日本酒を見つけたのでいそいそと買った。䋝田ヤカです、と緊張しながら初めて名乗った今日、同じ名前の君に出会ったのも何かの縁だろう、とラベルの蛙くんらに話しかけてみる。飲み終わった瓶は花器にして、大切に飾ろう。

 

古賀さんとphaさんのトークイベントにも参加して、一から十までいい日だ。司会をされている古賀さんばかり見ていたので、何だか新鮮な気持ちだった。「自分にバレる」という言い回し、好きだなあ。古賀さんとphaさんのその場で上手いこと言語化されていく思索の言葉をたっぷり浴びて、日記は器が大きいという言葉に励まされ、会場を後にする。緑が多くよく日が照っていて、たくさん影の写真を撮った。今日は影が濃い。濃い影は即ち力強い日差しであって、濃い影を写した写真を見返し日差しを思い出して、少し元気を分けてもらうのが好きだ。今日の日差しも、きっと思い出す。

 

帰りの電車で早速『はてなブログの日記本』を読みながら、ふと考える。いろいろな方の日記本の前書きであるとか、実際に言葉を交わしている中でだとか、今日は特に「私もそうだし、貴方もそうだよね」という意味合いの柔らかい言葉に接することが多かったように思う。

 

ミイさんは、高校生の頃から「自分は特別」という思いと「でもそれはきっとみんな同じ」という思いを両立していたと聞く。私はそれが上手くできずに苦労した性質なのだが、その差は一体何なのだろうと今日までずっと考えていた。ずっと考えて、結構落ち込んでもいた。大人になれない私。中学生的精神から成長のない私。ミイさんは高校時代、映画や小説や漫画をたくさん観たり読んだりしてきた、とも以前話していた。そして今日、日記祭に行って分かった気がする。映画を観るのも小説を読むのも漫画を読むのも、そして、日記を読むのも、すべて他の誰かの人生を垣間見ているという点で同じだ。日記祭に集う人は、おそらくその多くが普段から日記を読んでいる人、ではないかと思う。他の誰かの人生を覗いていると、いずれ、どこかみんな違うしみんな同じだと知るのではないだろうか。そして、私にはその経験があまりなかった、のかも。みんなと同じ自分や他者を愛おしく思う気持ちは、貴方にもあの人にも、人生が、暮らしがあるのだ、と知ることから来るのかもしれないな。大雑把にだけれど、そんなことを考えた。日記に出会えて、そして、改めて日記を捉えなおす機会をもらえて、とても良かったな。日記を書いて日記を読んで、みんな違うしみんな同じだということをこれからゆっくり頭に体に馴染ませて知っていけたら、それはきっととてもいい。

 

家に着く頃にはお腹がぐうぐうと五月蠅いほどに鳴っていて、出汁パックを煮出して冷凍うどんと冷凍ワンタンと豆腐をもりもり入れ、味覇と老干媽で味を付ける。ご飯の分で日記本を買える、と気付いてから空腹に耐えていたのだった。ビールは飲んでしまうのにねえ。ゾゾゾとうどんを吸い上げ、お腹が満たされると今度は瞼が重くなってくる。寝る前に読めるかな、今日手に入れた日記たちを枕元に置いて、少しだけ昼寝。起きたら今日も日記を書こう。