ヤカの散録

忘れてしまうあの日のひだ

2023年4月6日◆古ぼけたかすみ草は桜に似て

栗饅頭があまりに美味なる菓子にて、ヤカに衝撃走る――!思わず私の作画は『ベルサイユのばら』調になり、白目を剝き背景にはいかずちが落ちる。饅頭の上に薄く乗った羊羹が特徴的で、柔らかな生地に包まれた白餡はまさに甘露の味わい。中心に御座します一粒栗も絶品で、何と言えばいいか、とにかくすっかり魅了されてしまった。聞けば、ミイさんの実家近くにある和洋菓子店の品なのだという。幼少の頃から慣れ親しんだ味がこの栗饅頭とは、いやはや恐るべし。

 

朝。今日も今日とてオリーブに水をあげ、じっと眺める。まだまだ勉強中の身であるので、毎朝じっと眺めるこの行為がきちっと健康観察の役目を果たせているのか自信はない。しかし、とにかく日々よく目を凝らして、何か異変があった時すぐに気が付ける同居人でありたい。ずっと一緒にいるための、座学と実習の日々。葉が一枚だけぽつんと黄色くなってきて、きっともうすぐ落ちてしまうのだろう。新芽がにょきにょきと元気ならば特段心配することはない、という情報を信頼できそうな情報源複数から得たので、過保護になりすぎずいつも通り過ごそうと思う。友人を部屋に招くために飾ったカーネーションの切り花もまだまだ元気で、四つついている花のうち三つの花が順繰りにだいぶ開いてきている。最初からよく開いていた花も一層ふりふりぷわぷわと華やかに開いて、我が家の植物たちの中では一番のお姉さんだ。新人ちゃんに構ってばかりいないで、私たちのお水も新しくしてくださるかしら。

 

今日はもう一つ嬉しいことがあって、そいやそいやとメールを書いたり調べ物をしたりなんだりかんだりしている途中ふと顔を上げると、あれ、福だるまちゃん、ちょっとお姿が違ってきたような。そうだと確信しつつも、植え付け直後の写真などと見比べる。わ、ほらやっぱり。新芽がぷちっと顔を出しているではないか。まだ粉が付く前なので新芽だけが綺麗な若草色をしていて、周りのふんわり白くてぷくぷくの葉の中から、小さいながらもその存在を一生懸命こちらに伝えているようだった。嬉しい、嬉しいねえ。これから一緒に大きくなろうねえ。新芽を大きく写したくてどうしてもピントが合わない写真を、急いでミイさんに送る。程なく「春だねえ、ヤカさんの愛だねえ」と返信があり、ふくふくでぴかぴかのふくちゃんにもその言葉を伝える。いつも自分以外の生命がいてくれる部屋は、自分が思っているよりもうんと私の支えになっている。

 

昼過ぎまで細々したことをこなしていた私だったが、ここでギブアップ。どうにかこうにか躱してここまで来たが、今日も強烈な眠気にどさっと襲われ、観念して布団に潜りこむ。増えていくTODOリストが頭の中で回りだし、次は何に手を着ければよいだろう、あ、あれも書き出しておかないと忘れてしまうな。夢と現の間で考え事は森のように広がっていき、しかし、気絶するように眠ってしまう。夜の睡眠時間が足りていないわけではないのだが、ほとんど毎日、昼間のどこかでまとまった睡眠を取らないと使い物にならない体になってしまった。副作用の説明を読むに、薬の量が減れば改善するものなのかなあ。少しだけ、けれど毎日、確実に心が曇る瞬間。ゆっくりと良くなっていけばいい、それは分かっているけれど、傍から見たら小さな錘も、私にとっては足首に括られた大きな鉛の玉なのだった。

 

日が傾いてきた頃に起きだして、お手洗いに立つ。窓際に飾ってある丸く纏めたかすみ草に目を遣りながら、君は長持ちさんだねえと呟く。しかし、時間の経過は確実に現れていて、ポンポンのような花の中心が、新鮮な緑色から仄かに薄茶色に変化している。それでも花の可愛らしさは変わらず、素敵な歳の重ね方をした淑女のようにも思える。うっすらと茶色を纏うということと、ほんのりピンクに染まるということは、どうやら隣り合わせのことのようだ。少しずつ古ぼけてきたかすみ草は桜に似て、ここで小さなお花見ができてしまうね、と萎んだ心に楽しい気持ちがやってくる。

 

窓の外では桜の花弁が舞っている。季節はどんどん進んで私を待ってはくれなくて、でも季節と同じスピードで歩く必要はないから、大丈夫。カーテンを閉めて部屋の電気を付ける。大きく伸びをして、さてこの後は何をしようか。こめかみの辺りにできてしまった少し大きめのニキビ、早く治るといいな。この間頂いた栗饅頭があまりにも美味しかったから電話したよ、ヤカはもう食べたかな、と母から連絡がある。