ヤカの散録

忘れてしまうあの日のひだ

2023年3月22日◆春を迎えるための歌、大きな緑

玄関に飾っていた花を、日の当たる場所に移す。友人が生けてくれた御守りの花々。帰宅したら真っ先にミイさんの視界に入ってほしいと思い、ゆうべ玄関に飾ったのだった。思惑通り、帰宅したミイさんの顔がパッと明るくなる。それを台所から確認した私は、「友人から引っ越し祝いに、っていただいたんだよー」と少し声を張る。

 

昨日のことを思い出しながら洗濯機を回し、音楽を流す。今朝は初めて聴く曲にも手を伸ばしてみようと再生の三角印を押し、しばらく立ち尽くす。もうすぐ四月。本格的な春をいよいよ迎えることになるが、私はこの季節が少し苦手だ。過ぎ去りし日々に足を取られ、選び取らなかった道に未練未満の思いを馳せ、気が付いた時にはもう手遅れで雁字搦めになっている。しかし、雁字搦めになることは甘美な側面も持っていて、全力を懸けて抜け出そうとしているかと問われれば、答えは否、になってしまう。そんな私のことなど露知らず、気が付いた時には横を追い越して颯爽と生き生きと駆け抜ける、駆け出すように見える人々。春が巡る度、この現象、この光景に襲われてしまうことに私は怯えていた。今朝見つけたこの曲は、私が春を迎えるために、春の冒頭を過ごすために、少し力を入れてきゅっと握りしめる歌になるのだと、肌は瞬時に理解していた。

 

同時に、手に取って様々な角度から見つめた様々な表情が、少し離れて眺めてみた存在全体の姿が、どうしようもなく昨日会った友人の顔を思い起こさせる。言葉の解釈の違いをきちんと恐れながら、そして大いなるお節介と分かっていながら、それでも私は彼女に曲を送ってしまった。また季節は一巡りしたんだね。

 

昨日とは打って変わって晴天の今日。仕事の前に用事があると出掛けていったミイさんだったが、用事が終わって仕事まで時間があるから一旦帰るね、と電話がある。やった!植木市には行きたいけれど時間を捻出できるだろうかと言っていた翌日に、早速時間を作ってくれた。ありがたいことだ。さあ、今日も植木市に行こう。ミイさんとは現地集合にして、私は家から昼下がりの暖かい街に足を踏み出す。終業式だったのだろうか。ランドセルを背負い、大きな手提げ袋を重たそうに抱えた小学生とたくさんすれ違う。横断歩道を挟んで小学生が立っているのを見つけ、いつもより少し背筋を伸ばして信号待ちしてしまう自分に湧くこの微かな感情はなんだ。途中、少年二人から「こんちわ!」と挨拶される。咄嗟に返した私の「こんにちは。」の声は準備してあったかのようにするりとして、ほっと息をつく。個体識別されない、今の彼らはきっと意識してもいない、いつもの地元の風景に混じれただろうか。

 

植木市に到着し、程なくしてミイさんと合流する。「大きな緑が欲しい」というざっくりとした目的でやってきた我々は、サクランボは枝が素敵だとか、レモンの木も捨てがたいだとか、ひとしきり無知ゆえに盛り上がる。この時間も代え難く楽しいものだ。しかし、私たちは置物ではなくこれから一緒に生活する中で育っていく緑を探しに来たのだった。気さくで初心者の我々にもとても親身になってくださるスタッフさんに相談し、結果オリーブを我が家に迎え入れることにする。一緒に元気に育とうねえ。もう一つ、福だるまという名の多肉植物も手に取る。駄目にしてしまったサボテンへの謝罪を胸に、大切に育てます。

 

帰り道にある弁当屋で二人分のお昼を買い、並んで家に帰る。スーツ姿のミイさんと仕事のある日に家でお弁当を食べる。すべてがちぐはぐで愉快な時間だ。窓際に置かれたオリーブは輝いて、改めて二人で大切に育てようと決意を新たにする。こうして部屋に置いてみると、大きな緑だ。大きさと命の重さが決して比例しないことは分かりきっているが、それでも分かりやすく自分以外の命の存在をすぐそばに強く感じて、いつも以上に気が引き締まる。ミイさんが出勤した後、育て方や必要なものを血眼になって調べた。生命維持の責任者になったことを強く意識し、念願だった大きな緑がやってきた嬉しさと同じくらい緊張も感じている私であった。言葉を交わせない分、これから毎日よくよく観察しよう。

 

翌朝、昨晩ミイさんの帰宅後一緒に悩みに悩んで決めた鉢に加えて、土やら肥料やら必要だというものをまとめて注文する。肩に力が入る、一方で、やっぱりとても嬉しい。私やってみるからさ、きっとすくすくのびのび育っておくれね。