ヤカの散録

忘れてしまうあの日のひだ

2023年3月21日◆頷きは感情の存在承認

交差点を曲がると、深い橙色のコートを身に纏った人影がパッと目に飛び込んでくる。その人影はこちらに気が付いたようで、どちらからともなく手を振り小さく駆け出す。久しぶりに見る友人の顔に深く安心する。ようこそ私の住む街へ。喜びに火照った肌を冷やす空気はしっとりと、今日の天気は曇り時々ほろろ雨。

 

家に着き、彼女のコートを窓際に吊るす。吊るされたコートも素敵だが、やはり彼女が身に纏っている時が最も好きだな、と思う。サッと羽織ると彼女もコートもその魅力を最大限に発揮するようで、彼女の立ち姿も服との関係性もずっと私の憧れだ。一方の彼女は、部屋の一つ一つを丁寧に見つめてたくさんたくさん褒めてくれる。台所の火の鳥と呼んでいるタイルも、一緒に引っ越してきて大きくなった本棚も、木の風合いも、昨日飾った花のことも。私たちの部屋を、可愛くて生活感が馴染む部屋、二人の好きなものが詰まっているから広い空間も寂しくない、と言い表してくれる。それらの言葉は私たち二人にとって最上の誉め言葉だった。彼女が発した言葉を通して、改めて新鮮に自分が好きなものをどのように好きなのか、胸にすとんと収まる形で輪郭が生まれる。忘れたくなくて何度も何度もその輪郭をなぞる。それでも思い出す度に言葉は変形してしまって、一言一句違わずに思い出すことはもう難しい。基本的に忘れてしまうのは人間の長所だが、幸せな時ほどどうしようもない短所だと感じる。すべてを録音したいと思いながら過ごす一日になったが、それは今この時をこれ以上なく幸せだと感じていることの何よりの証なのだったと今更気付く。忘れたくないことから忘れていって、思い出さなくていいことばかり思い出してしまうね。

 

ミイさんが用意してくれたロゼを開け、キッシュを切り分けトースターで温める。昼前からロケットスタートだ。春色のワインで乾杯し、夢のような時間を過ごす。しかし私たちは現実に生きていて、ロゼがとても美味しくてどんどん飲み進めてしまうのも、キッシュをぱくぱくと食べお代わりしてくれるのも、すべて私たちの本当なのだった。

 

ナイフとフォークを握ったまま、たくさんの話をした。石の話。愛は対話と創造と想像の上に成り立つこと。寄り添うだけで通じ合うなんてことはそうそうなくて、やはり不断の努力が要ること。根っこの仕組みは結婚しても変わらないこと。婚姻はある種一つのゴールであると同時にそれ以上に大きなスタートだった。あなたを運命の人とするこの覚悟が愛なんだから。感情の高波とその収束と凪のアンバランス(ふと思い出す、柴田聡子の『涙』だ)。言葉があってよかったとこれ程感じることはなかったよ。……彼女と言葉を交わすのは本当に楽しいことで、彼女の頷きは、私にとって感情の存在を承認されることだった。私の自分勝手で意地悪でやけに振り幅が大きくて存在しない言外の意味に囚われてしまったどろどろとしたこれは、ここに存在する。それ以上でもそれ以下でもない存在の承認は、私にとって大きな意味を成すものだった。救い、と呼んでも決して大袈裟ではない。そして、似たような感情が彼女の中にも存在するという事実は、この感情は別に特別なものではないことを示してくれた。ここ以外にも普遍的に存在しうるもので、言ってしまえばありふれたものなのだ、という実感は私の心を軽くした。

 

酔い覚ましも兼ねて散歩に出かける。道中、私は一つ悲しみの存在を承認され、このところずっと感じていた胸の痞えが下りるのを感じた。ありがとう。彼女は石を探していて、それだったらと近くの浜まで出て一緒に石を拾った。浜辺の石はよく見てみると想像以上に綺麗で面白く、気に入った石を見つけては小さな子供のように彼女に見せた。「石拾いの才能があるよ」とにやりと言われ、どんなことでも褒められるとすくすく育つ私は次々と素敵な石を探した。世の中には石を拾う人がたくさんいるらしい。次はミイさんを連れて石を拾いに来よう。私には石拾いの才能があるのだよ。穏やかな波の音がほろ酔いの身に心地よく、私はやっぱり潮風に当たると元気が出る。

 

浜からすぐの神社で植木市を開催していたので少し覗く。近所なのだが、ここで植木市をやっていることは知らなかった。多肉植物から色とりどりの花々、ミントやパクチーといったハーブ系に庭に植えるような大きな樹まで、こじんまりとした境内いっぱいに並ぶ植物。大きな緑を部屋に迎えたいという話はミイさんとずっとしており、期間中にもう一度お邪魔することは間違いなさそうだ。彼女は祖母へのお土産にと花を選んでいた。いつも植物と共にいて友人のようにその名を呼ぶ彼女を見ていると、何事についても名のあるものの名を正しく呼べるようになりたいと改めて思う。

 

帰宅し、今度は喫茶の時間だ。コーヒーを淹れようと湯を沸かす間、友人に花を生けてもらう。バス停まで迎えに出た時、引っ越し祝い!と緑のブーケを受け取っていたのだ。彼女は人に贈り物をする才に溢れていて、それは普段から向けている暖かく愛のこもった眼差しがなせる業なのだろうと思う。緑のブーケにはゼンマイが入っていて、魔法の杖のようにくるくるとした頭に心惹かれる。そんなブーケを彼女自ら生けてもらって、たいそう贅沢な御守りが出来上がる。明日からもこのゼンマイたちを見て、今日のことを思い出し生活をやっていくのだ。

 

湯が沸いた。ちょうど昨日届いた豆を挽き、内心とても緊張しながらコーヒーを淹れる。コーヒーのお供として、ふつうのクッキーと、ミイさんが用意していたバナナとブルーチーズのバニラアイスにご登場願う。小さく乾杯し、一口。彼女の口から「美味しい」の一言が出た瞬間の安堵といったら!実際、私も美味しいと思うコーヒーを淹れられていて、声を上げて飛び上がるほどに嬉しい(星野源の『フィルム』にこのフレーズがあったな)。焙煎士の友人にこのことを伝えたいな、今日初めて友人にコーヒーを振る舞って、美味しいと言ってするする飲んでもらえたんです。「ヤカさんはコーヒーを淹れるの上手なんだと思う」とお褒めに与り、きっと明日のコーヒーも美味しく淹れられるぞ、と少し調子に乗る。ミイさんのアイスも大好評で、二人でコース料理の最後に出てくるやつだ!と盛り上がった。私の大切な人と大切な人からの物が溢れんばかりの空間に心はほくほくし、今日まで生きていて良かった、なんて少しだけ大袈裟に思う。

 

あっという間に時は過ぎ、彼女を駅まで送る時間になる。とても気に入ってくれたクッキーをキッチンペーパーとラップで包んで渡す。実家のお母さんとか、遠方に住むおばあちゃんとか、私はその立場になったことはないけれど、きっとこういう気持ちでいっぱい物を持たせてくれるんだろうなと少し分かった気がする。クッキーは週末の旅行に連れていってもらうらしい。私の代わりに楽しんで、そして美味しく食べられておくれね。家を出る支度をしながら不意に口を衝いて出た、受け取った愛だけを見つめようね、との言葉に自分がハッとする。すぐに幸せボケしてしまっていけない。ないものではなく、あるものを見つめて生きていたい。駅までの道中、小さな夢を一つ話す。その話に返してくれた「万難を排して」という言葉は、彼女にとても大切なお願いをした時にもらった言葉とまったく同じで、こんなに素敵な友人がいてくれる幸せを再度強く噛み締めたのだった。顔を見て話せて、本当に嬉しかった。

 

彼女を駅まで送った道を、今度は家に向けて一人で歩く。じんわりとぼうっと暖かい気持ちで、桜の木を眺めて立ち止まる。いつの間にかすっかり綺麗に咲いたなあ。ゆっくりと歩きながら同じように桜を見ていたご婦人に「よく咲いていますね」と声を掛けられる。赤い薄手のニットを着たそのご婦人と二言三言交わし、それでは、と言って別れる。坂のてっぺんで友人と見上げた木々を一人見上げる。たくさんもらった言葉を一つずつ、できるだけ壊さないように大切に仕舞って、そっと輪郭をなぞる。優しい気持ちになる。あなたという名の大勢ではなくて、顔を思い浮かべる一人一人のあなたの日々が、どうか少しでも穏やかなものであるように。今日も私はここから祈っています。